2012年6月17日日曜日

マスという存在

音界隈やゲーム界隈は常にかつここ最近はさらに激しくいろいろ起こっているわけだけれども、いくつか大前提が狂っているからのように思っていたりする。
最近友人と話すとこの話題になることが多く、また近い考えを持ってる人も多かったり少なかったり、ともかく皆それぞれ最近の激しい動きに対して色々思うところがあるんだなあと感じている。
ともかくいくつか自分の意見を書いて、自分の頭の中をまとめてみたいとおもう。

まず、もうマスという存在はほぼ無いと思っている。
というのも、昔は情報も少なく選択肢は多いんだか少ないんだかわからないけども、今と比べれば少なかったように思う。なのでマスが生まれやすい環境にあったと思っている。
で、作り手は今も昔も良いものつくりたいだけの話ではあるんだけども、商売という所に行くと、たくさん売れる現実があったので、皆それを狙って行ったのだと思う。
大きく創り大きく売る。創る方も肥大していき、例えばゲームで言えば100万本売れないとリクープ出来ないような大きさで創っていく。作り手側は企業めいて、どんどん大きな一塊となって物作りをしていく。100人200人で1つの何かを創るなんてザラになった。
で、今は皆自分の好きなモノを探す術を身につけ、好きなものだけを手に入れる事が出来るようになった。で、実は1つの何かのユーザーやらファンやらの数というのは、実はそんなに多くないという事がわかってきた。1万人もいれば御の字。でもそれは当然で、今までが異常だっただけだろうと思う。
そんな中肥大してしまった作り手は、内部を食わしていくためにウン百万人ものユーザーやファンを獲得せねばいけない無理な状態に陥っており、悲惨な事になっている。
これは仕方がない事だ。
要は何が書きたいかというと、いろいろな規模感が昔と今は違うし、今の方が正常なのではないかということ。
規模感にあった作り方をしなければ、首が回らなくなるのは当然だ。
昔からやってる作り手は、どうも自分の創ったものへのファンがたくさんいると勘違いをしている事が多いように思う。当時は少ない選択肢の中から、少ない情報の中から、ある種流れ的にファンを獲得できたに過ぎないように思ってすらいる。
自分たちの創ったものに対しての受け手の規模感を把握し、それ相応の作り方を模索しないとおかしくなるのではないかと考えたりしている。

後、私自身色んなもののユーザーであり、ファンであるんだけども、素晴らしい何かがあった場合、それに対してというよりも、また作り続けて欲しいのでお金という形で経済的援助というか投資をするイメージでお金を払っている。
経済的な援助がなければ何かを作り続けることは不可能だ。
だけども、人間のモラルというのは異様なまでに低いので、気に入ったらカンパして下さいみたいな理想を目指したいんだけども、タダならタダでそれを使ったり楽しんだりして終わってしまうので、結局作り続けるためにF2Pやらアドセンスやらみたいな事をするはめになる。
で、要は何かというと、いつの日か作り手が自分剥き出しでどうだとばかりに何かを創り、それを気に入ってくれる人が少しばかしでも現れたなら、それを作り続ける事が出来る小さくて大きい大きくて小さい世界が出来たらいいなあと思ったり思わなかったり。